長尾三郎の寺山修司の評伝「虚構地獄 寺山修司」(講談社 1997)で、寺山修司が三島由起夫の自決を知って「天井桟敷」のメンバーに語ったとされる話が興味深かったので抜き書き。
寺山は、三島由紀夫を畏敬し、ライバル視していたが、二人は『潮』(1970年7月号)で対談したことがあった。
七〇年前後は、若者たちの叛乱が日本中を震撼させていた時代だった。
— 中略 —
三島由紀夫は「新左翼は政治的な言葉と文学的な言葉を混同しているところに彼らの破綻がみえている」と指摘したが、寺山は「乱世の中におもしろ味がある」と逆におもしろがっていた。
三島:でも、それをおもしろがっちゃいけないんじゃないのかね。それでは文学もダメになるし、政治もダメになるんだよ。
寺山:両方ダメになってもいいんじゃないかっていう感じがあるんですよ(笑)
三島はこの対談の四ヶ月後の11月25日、「盾の会」を率いて自衛隊に突入し、決起を訴えたが叶わず、割腹自殺をとげた。
その壮烈な死を知って、寺山は「天井桟敷」のメンバーにこういった。
「三島は季節を間違えたな。桜の季節にやるべきだったんだ。」
さらに寺山は「三島は演劇を知らない」と言った。
「市ヶ谷の自衛隊で演説したとき、三島は舞台監督の経験がないから、声を隊員たちに伝える手段を考えることまでは思いつかなかった」
「虚構地獄 寺山修司」長尾三郎 著 講談社 1997 より
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