2012/04/19

目出し小僧と眼力太郎

風俗遷史
風俗遷史 - 「伝奇・伊藤晴雨」斉藤夜居著 青弓社 1996より

以前、前のブログで伊藤晴雨の「風俗遷史」という江戸時代の風俗を描いた図をとりあげた時、当時の見世物の一つとして描かれた「眼力」という飛び出した目玉で石を持ち上げている芸が描かれていて(※上図)、はたしてこれは本当に実在した芸なのだろうか?と気になっていたのだが、今日、たまたま古本屋で見かけた古河三樹著「図説庶民芸能—江戸の見世物」(雄山閣 19820)という本の中で似たような芸を見せる見世物についての記載があった。

目出し小僧

 目出し小僧という奇芸の主が名古屋大須の見世物興行にかかったのは文政十二年(1829)十一月のことである。これは、扇の要で外目じりをおすと、たちまち目玉がヒョイと飛びだし、また自由にしまえるという奇妙な芸を見せるので、たちまちの大評判天保元年(1830)春には、江戸に下って両国の観場に出演した。当時の好事家の大名、松浦静山は、その看板を見て不思議に思い、侍医の子息を実地調査に遣わしたが、その報告によると、「年二十一、二と覚しく、其容唐子の姿をなせり。踞床の前に鼓を置きて、自ら是を鳴らす、是見物に始りを告ぐるなり。某その目を見るに恍惚として晴光なし、開くこと常人より少くして、眼辺凹なり。熟視すれば眼疾の人にことならず。始め目玉を出すには、指にて眦を少しく推せば、晴即ち出ず。形大鯛の目玉に能く似たり。ただ黒めは翳りありて、白目は灰白色なり。又目玉の全く出たる見れば、白みのみ多く黒みはわずかなり。その出たる間は、直視しても少しも瞳動なし。又、傍より見れば、疾視みているものの如し。これより又鼓を打つこと八九声にして、眼を入るるといい、指を用ひず目を張れば、晴入って故の如し。」であった。

 それから左の眼を同じように出し入れしてみせ、さらに両眼を出す。その様子は「張子達磨の円眼」によく似ていた。木戸番の話では五島宇久の出身だということだが、言葉のなまりなどもなく近在の者のように思われた、ということである。これには、さすがの江戸ッ子たちも驚いたようである。

眼力太郎

 しかし、天保十二年(1841)夏に両国広小路で興行した目出度男眼力太郎は、目出小僧よりさらに珍奇な芸を見せた。

 この男は、羽州新庄領二間村、百姓林助の孫で本名は長次郎。七、八歳の頃からいかなるわけか両眼を自由に出し入れできるようになった。目玉の大きさは一寸余、その上に細網をかけ銭五貫文ぐらいの目方をさげられるのである。それを、本所松坂町に住む谷五郎という男が二年間の約束で雇い、江戸へ連れてきて見世物にしたのであった。

 眼力男・長次郎は、ふだんは常人とすこしもかわらない眼をしているが、いざという時にイキむと、目玉がたちまち蟹のように飛び出してくる。それに小石を糸でくくってかけるのが小手調べで、次に右の目玉に三組杯、さらには重箱、徳利などを糸でくくってぶらさげ、最後には下座の鳴物に合わせて両目玉を自由自在に出し入れする。まさに古今絶無の芸だということで、大名屋敷や旗本邸などで競って呼びよせて見物した。

「図説庶民芸能—江戸の見世物」古河三樹著 雄山閣 1982 より

ここで解説されている「眼力太郎」はまさに伊藤晴雨の描いた「眼力」芸の持ち主のことだと思われる。この本(「図説庶民芸能—江戸の見世物」)には出典の記載がないので、この「眼力太郎」が当時のどのような記録に記載されているのかは不明なのが残念。「目出し小僧」の松浦静山からの引用は「甲子夜話」であろうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿