2012/01/13

小川未明 - 関東大震災の日

小川未明

今度は関東大震災つながりで、童話作家、小川未明の次女である岡江鈴江が父親について述べた「父 小川未明」(新評論 1970)より、関東大震災の当日の小川未明について書かれた部分を取り上げる。小川未明は「赤い蝋燭と人魚」や「野ばら」「金の輪」などの童話で知られる童話作家で、「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」とも呼ばれる人で、彼ががどのような人であったか良く判るエピソード。

 地震がおきた九月一日は、ちょうど二科展の招待日だったので、父は知人を誘って上野の美術館に向かう途中であった。しかしお昼ごろだったので、早稲田から市電にのる前に、その辺りの料理屋の二階で昼食をとっていたそうである。

 ぐら、ぐらっと異常な衝動を感じた瞬間、父は「これはただごとではない」と思い、知人と共にすばやく二階の階段をかけおりたが、その直後、階段は音をたててくずれたという。

 大さわぎの料理屋をいそいで飛出したが、そんな中でもきちんと代金を女中さんに支払ってきたのは、いかにもきちょうめんな父らしい。

 「外に出てみて驚いたよ。料理屋の前のれんが造りの家など軒並に倒れ、女や子供の悲鳴が聞こえて、それは悲惨だった」

 興奮しながらも、父はとっさに、「これでは電気はとまり水道も出なくなるかもしれない」と思い、いそいで家にかえる途中、雑貨屋の店先で何本かの太いろうそくを、そして、果物屋からは大きな西瓜を二つ買って、あたふたと帰ってきた。

 とつぜん、予期せぬ大きな災害によって文化生活が一瞬のうちに破壊された時、父は、人間生活にとってもっとも大切で原始的な火と水を想ったのであろう。

 ふところに何本かの太いろうそくを押しこみ、両わきに大きな西瓜を一つずつかかえながら、悲痛な面持ちでいも畑に入ってきた、あの時の父の顔は印象的であった。

 そして、その時、いも畑に居合わせた裏隣りの高等学校の学生が、たいくつしのぎに、里いもの茎をふみつぶしたり、棒切れでたたいたりしているのをみると、父は、少し毛色ばんで、

 「きみ、きみ、やめたまえ」

 といった。そして、

 「これから東京は非常な食糧不足になるかもしれんのだ」

 とつけたしたのであった。

 「家では、あの時、幸いなことにお米の心配はなかたんだよ。春日山から帰ってきて、米屋さんからとりよせたばかりだったからね」

 たべざかりの子どもたちをかかえ、あの非常時に、米びつにお米がいっぱいあったのは、なにより心強かったと、母はいった。

「父 小川未明」 岡江鈴江 著 新評論 1970 より

この本の著者で小川未明の次女である、岡江鈴江は日本女子大英文科卒、外務省勤務をへて、戦後は英・米の児童文学の翻訳・紹介などをした人。

なお、小川未明の著作は、2012年をもって著作権は失効しており青空文庫での著作の公開が始まっている。

Wikipedia : 小川未明
青空文庫 : 小川未明

0 件のコメント:

コメントを投稿