2012/01/15

私が初めて読んだ艶本

秘本 艶本の研究 - 表紙

第一出版社から1952年に雑誌「人間探求」の別冊として出版された「秘版 艶本の研究」という冊子に、各界著名人24名に対して「私が初めて読んだ艶本」というアンケートを行った結果が収録されている。この選出された24名から今でも一般に広く名前を知られている四名の回答を抜き書きしてみる。獅子文六の「夢中でしたナ」という感想が良い。

しかし、初めて読んだポルノ作品って憶えているものなのだろうか? このアンケートの回答者は皆戦前の生まれで今日ほどポルノが氾濫している時代ではないので、その出会いも鮮烈で記憶に残るものであったことは想像できるが、自分を振り返ってみても、最初に読んだポルノが何時、何処で何という作品だったのかまったく思い出せない。単に自分の記憶力がないというだけの話なんだろうか?

アンケート '私が初めて読んだ艶本'

質問

1.貴下が初めて読まれた艶本名

2.それを読まれた時(年齢または時代)

3.その時のご感想

伊藤晴雨(日本画家)

 初めて見た春本は年齢十七才の明治三十一年の四月自宅のタンスの抽斗から発見、一勇斎国芳筆の東海道五十三次の艶本で上欄に読みがあつて半紙版の綴本でした。大井川の蓮台渡しで年頃の娘が今や将に川越人足に引つくり返され様として玉門が見えている所を特に面白く感じた。其翌日から其本は二度目の父の女房によつて隠されてしまつたが初めて読んだ時スースーとフーフーという定り文句の余りに多いのに不審を感じた事と神武天皇も楠正成も菅公もありとあらゆる偉人烈士も雄皆こんな事をしたんだという事を知つて英も偉人も皆こんな馬鹿な事をして来たんだと思い乍ら、馬鹿々々しくなつて己も一番やつて見たら、昔の英雄や偉人と同じ事になれるんだと考えた事がありました。そして父や母もこんな事をして己れを作つたんだなと可笑しくなつたのを覚えて居ります。

獅子文六(作家)

1 壇の浦夜戦記

2 中学四年

3 夢中でしたナ

高橋鐵(日本精神分析学会々長)

1 「壇の浦戦記」という筆写のノートが回覧されて来た。もちろん、塙保己一作として伝わる「はつはな」や頼山陽作と云われるものゝような名文のものではなかつたが優しい文語体だつたので、「羞恥」も「嫌悪」も感じず、ロマンチツクな興奮を与えてくれた。

2 たしか中学二年——「歴史」の授業時間中だつたから愉快に非ずや。

3 当時、少年間のアコガレの的だつた九郎判官と建礼門院がこうした交悦にも浸つたことは驚異であり、正史とと人間世界についての大人のウソを突き破り、素直に「性」を教えてくれた。「御玉門」などという用語も女体を美しく呑込ませてくれた。

正岡容(作家)

1 「大東閨語」のガリ版で流布したものらしく今察しられます。前後して「末摘花」

2 大正震災直後(二十から二十一才)

3 最初に読んだ文体が美しくむずかしいものであつたため今日に至るも艶本への先入観を大へん匂い高いものにおもわせてゐることハ幸福だつたと存じます。

「別冊・人間探求 秘版艶本の研究」 第一出版社 1952 より

獅子文六と高橋鐵があげた「壇の浦(夜)戦記」については、「閑話究題 XX文学の館」の「閑話究題 XX文学の館 秘本縁起「壇ノ浦」もの」に詳しい。また、その全文は「裏長屋」の「壇ノ浦夜合戦記(全)」で読むことができる。

wikipedia : 伊藤晴雨 / 獅子文六 / 正岡容 / 高橋鐵については項目が存在しない。

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