2012/07/02

無毛症の女を好んだ乱歩先生の実弟平井通氏のこと

「奇譚クラブ」や「裏窓」の編集や、喜多玲子名義での緊縛絵で知られる美濃村晃(須磨利之)が、SM雑誌「月刊スパーク」で連載していた「美濃村晃淫行録」の中で、江戸川乱歩の実弟の平井蒼太の筆名でも知られる平井通について述べたコラムを見つけたので抜き書きしておく。

平井通氏のことと題されてはいるが、文章のほとんどは自分が縛った無毛症の女に関する記述で資料的な価値はない。

無毛症の女を好んだ乱歩先生の実弟平井通氏のこと

 江戸川乱歩先生の本名は「平井太郎」であるが、その先生の弟さんに平井通さんという酔人が居られた。この平井通さんという方は無類の無毛症の女性を好んだ方で、私は性雑誌「あまとりあ」の編集記者だった関係でよく、「無毛症の女が居たら紹介してほしい」などと云われていたものである。通氏は私が紹介した女性には妙な行為をする訳ではなく適当にお小遣いを渡して親切な紳士として遊んでおられたようだが、人によっては「オレは無毛症の女でないと勃起しない」などと云う変人も大勢の中には居るのであった。私はその平井通さんの薫陶でいつしか無毛の女が好みとなり、機会があるごとによく縛るようになった。あそこに毛が生えてない女はハダカにして縛ると普通の女よりも羞恥の度合いが激しいのでおもしろいのである。この写真の女は、はじめの内は全裸にすることを知らせないでおいて、両手を縛ってしまってから、パンティを脱がせることを宣告したのであった。その時の羞かしがりようはたいへんなものだった。スベスベの幼女のようなお○○こは、中心にくっきりとピンクのタテ溝を彫りあげていて、桃色をした肉芽がのぞいていた。やがて両足もうごけぬように縛りつけてしまってから、おさねを指先ではじきながらいじくってやるのだ。その間は無毛のお○○このありさまを大きな声で云いながら羞しめてやるのである。無毛の女はあまり男に接することがないから、セックスには激しい反応をみせるのだ。一物を入れてやると、反りかえって泣きながら気をやりつづけ、なかなか離してくれない。締まりはいいし、おつゆの出し方も上々であった。それに強度のマゾ性の持ち主でもあった。どんな縛り方をしても嫌だとは云わないし、無毛のお○○このことを云われるとトタンに興奮して抱きついてくる癖がある。(平井通氏の乾分・美濃村晃記)

「月刊スパーク」1987年9月号掲載「美濃村晃淫行録 第10回」より

平井通のパイパン好きの話は前のブログで一度取り上げたことがある。伴田良輔の「夜の雑誌たち」という50年代後半から70年代にかけてのエロ雑誌に関する本の中で、当時のエロ雑誌の1つである「女体画報」のページが見開きで転載されており、そこに平井通と近代文学研究家の中野栄三との対談記事が記載されていた。

『毛のない女性を探して30年間のノートより……』と題された対談で、平井通が中野栄三に対して自分の無毛症の女性への拘りを語るという内容。あおりの文句に『「無毛症の女体こそ最高の美だ」と喝破する、滋味あふれる人間宣言』とあった。

「夜の雑誌たち」には見開きのみの転載でこの対談の全文を読むことは出来ないのだが、読める部分だけを抜き書きしたモノが以下になる。

毛のない女性を探して30年間のノートより……

中野: 平井さん、このごろ無毛症の研究のほうはどうですか?

平井: なんですね、五十をすぎてから、以前よりもいっそう無毛症に関心がつよくなったような気がします。やはり性欲が減退して、少年にかえって……、

だから少女が欲しいのかもしれない。しかし少女は困るから、無毛症で……(笑)

中野: いったい、いつごろから無毛症に興味をもちはじめたかを、まず聞きたいけれど。

平井: いつごろってこともないが……。ただ少年時代こんなことがあって、それが潜在意識にはたらきかけているのかもしれない。

中学時代、長屋に暮らしておった。平屋建てなんだが、僕は暇があると屋根の上にあがって寝そべって本を読むクセがあった。

ところが真向かいの長屋に三十あまりの男好きのする奥さんがいてね。のちに暗殺された犬養毅首相の書生さんのワイフなんだが、ある天気の良い日の昼さがり、窓をあけっぱなしにしたまま、うつむいて何かやってる。

屋根の上からまるまるノゾけるんですよ、それが。よく見ると、ハサミを動かしている。からだを乗り出して、さらによく見たら、なんとチョキチョキ毛を刈りこんでいるんですよ。真っ黒な毛の、おおいのを気にしてのことだったのでしょうが、そのジャングルの毒々しさといったらなかった。おもわず身ぶるいして、イヤなものだなあと思った。 へんな言いかただけど、恐怖感ですね、一種の。それ以来、女の真っ黒なのに接すると、どうも嬉しくない。

僕の無毛症崇拝は多毛恐怖の反動じゃないかとも考えるのですがね。

中野: 十七世紀ごろのヨーロッパの貴族階級では、淑女はわざわざ剃り落とす習慣があったようだ。それから中国では、じっさいの無毛症もおおいけれど、昔はやはり剃る習慣があったようです。

むき卵みたいに、ツルリンとして、やや黄ばんだ肌に、タテにただ一線がすっとひかれただけの美しさ……を尊重したものらしい。

むかしの中国では、ちいさいうちに売買結婚がおこなわれていたらしいから、なるべく若く見せて高く売りつける必要上、剃ったのかもしれない。テン足もそうだけど、とにかく昔の中国は好色の最高クラスだった。

平井: 日本のオイラン(花魁)は、みんな毎日、その手入れをしていたものですね。やはり若くみせて値を高く、というコンタンだ。

ではどういうふうに手入れをしておったかというと、昔の絵草紙によく、自分のをのぞきこみながら、毛抜きで抜いている絵がでているけれど、あれはヤリテばあさんが厳重にやらせたものだそうですね。

歌麿や北斎なんかみても、オイランのは上のほうだけポッとあって、両脇がない。みんな同型で、手入れがなければできない毛相ですよ。

中野: もう二、三十年前のことだが、私は新宿の花街で道をとおりながらフトみあげると、二階で女が手入れしているのにぶつかったことがある。

鏡を前にたてて、お線香でジリジリ毛を焼き切っているようだった。あれは毛抜きよりは痛くないだろうね。(笑)

平井: しかし、そういう人工的なものは愚劣だね。

雑誌『女体画法』の記事を、伴田良輔「夜の雑誌たち」二見書房 2004 より孫引き

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<参考>
平井蒼太 - Wikipedia

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